7/3 みんなとの支援、遂にカタチに!!
ここからが本当のスタートライン
カトマンズ大地震への募金、本当にありがとうございました。カトマンズ南方に位置する「ブンマガティ村」
緊急物資支援
トイレ作り(ニコニコ トイレ)
無事終えました!!
ネパール・ブンガマティ村に、貯水タンク付きの仮設トイレ完成!!
誕生です!!
今回ネパールに行こうと思ったのも、皆様のご協力があったからこそ。皆様の想いがカタチになりました!!
パチパチパチパチ(≧∇≦)
佐野碧としては、今回限りではなく、これで終わりではないと思ってます。
ここからです。ここからはじまりです。
だから継続して支援していきたい。そのためには皆様のチカラ、想いが不可欠です。今後ともチカラ貸してください!!ネパールはまだまだ大変な状況が続きます。身をもって感じました。
これから日本でネパール報告会&ライブもさせていただきます。
誰かが言ってました。
アーティストは音楽をしてるからアーティストではない。
生き方がアーティストだって。
だから皆様もアーティスト。
佐野碧のライブで支援してくださった皆様
応援してくださった皆様
現地個人支援:サイノネパール
支援団体:OPEN JAPAN
本当にありがとうございました!
● 7/3 みんなとの支援、遂にカタチに!!
はじめてのダンニャバード
小さな村での大きな大切な思い出
緊急物資支援、トイレ作りをしていたのネパール・ブンガマティ村で、いつも笑顔で見てくれていた一人のお婆ちゃん。
私のことを「娘のようだ」と言ってくれていた。
お婆ちゃんは、ネパール大地震で家は壊れ、仮設住宅生活を余儀なくされていました。また、お婆ちゃんの息子のお嫁さんは、今回の地震で亡くなったそうです。
現在は、小さな仮設住宅で娘家族と暮らしています。仮設住宅といっても日本の仮設住宅とは違い、竹と木とトタンで作られた簡単な家です。
そんな中、私がトイレ作りをしているとよくお婆ちゃんが声をかけてくれた。
「チャイ」
お婆ちゃんの話す民族の言葉、ネワリー語が分からないから、お婆ちゃんは、私の知ってる「チャイ」(お茶の名前)を言ってくれてたのだろう。
そして、お婆ちゃんの住んでいる仮設テントに招かれチャイをご馳走になりました。
いつも笑顔で元気なお婆ちゃん。
そんなある日…いつものようにお婆ちゃんのいるテントでチャイを飲んでいるとネワリー語でたくさん話をしてくれた。私はお婆ちゃんの話すネワリー語はわからない。けど、なんとなくわかる。
いつもなんとなくフィーリングで会話してた。ただ、その日はいつもとちょっと違った…
私の手を握り、真剣な目をしていた。そしてお婆ちゃんの目はだんだん涙で溢れてた。まるで地震のことを思い出して話ししているようだった。
私はただ、うなずいて話しを聴いていた。握るその手はだんだん強くなり最後に一呼吸置いてお婆ちゃんは涙を流しながら
「ダンニャバード」
そう言ってくれた。
この言葉は私にもわかった。「ダンニャバード」日本語で「ありがとう」
お婆ちゃんも私も二人とも笑顔で微笑んだ。本当に嬉しかった。本当に元気をもらった。
私は、仲間と2013年からダンニャバードプロジェクトというプロジェクトをしていています。以前、ネパールでは「ありがとう」があまり使われないことを知り、それがきっかけで、あえてネパール語の「ダンニャバード」(ありがとう)という言葉を、プロジェクト名に使わせてもらっています。
言う側も言われる側も互いにあたたかい気持ちになる「ありがとう」は最高の言葉だと思った。
ネパールではじめてお婆ちゃんにもらった「ダンニャバード」だった。
その言葉には、「祈り」のような願いにも、私には感じた。深い深い「ダンニャバード」だった。
お婆ちゃん、繋げていくからね。
ダンニャバード。
日本のみんなネパールの日々にダンニャバード。