6/25 復興・募金ストリートライブ
ネパール・カトマンズ、被害の大きかった旧王宮で、ストリートライブをしてきました。
最初は正直、複雑な気持ちだったけど、本当やってよかった!
崩壊した旧王宮の建物をバックに…仮設テントからも何人も人が出てきてくれて…想像以上に人が集まってくれて、嬉しかった。
今だからこそ音楽のチカラ
約1時間のライブをして、「onece more」アンコールまでいただきました。また、現地ネパールの方々の募金も集まり、本当に本当に感動しました。
ネパール大地震の募金を、そこに住む人々が行う。なかなか現地にいくとそれは難しいことだと感じたからこそ、じんときました。
たしかに大変な状況です…
でも、現地にいるネパールの人々が、ネパール大地震を支えようとする『アクション』は、何よりネパールの未来が見える行動だと思う。
そこに住む人々のチカラなしでは復興は難しいと思うからです。「音楽」を通してなら、笑顔付きで、字の通り「音」を「楽しみ」ながらこのアクションを共にできるんじゃないかと思う。
ますます音楽が好きになった。
● 6/25 復興・募金ストリートライブ
6/27 トイレ作り開始
日本式循環型架設トイレを伝授
ネパール・カトマンズ南方に位置する『ブンマガティ村』へ
皆様のご協力のおかげで、緊急で必要な物資(傘、ポンチョ、懐中電灯、電池)を51家族に渡すというアクションを通して、村の人たちともコミュニケーションをとりながら、見えなかった部分が少しづつ見ててきました。
まず、村の人からあがったのは、架設トイレの問題でした。
・トイレの数
・トイレの構造の問題
架設トイレの構造が、ただ土を掘ってそのままという形が多い状態でした。
土は深いところにいくと、菌が無いそうなんです。ただ土を掘ったトイレでは、微生物が分解しないので肥料にもなりません。
テント生活が長期戦になることを考えたとき、今のままの状態では感染症などの問題を引き起こす可能性があがりました。
そして…ブンマガティー村へのトイレ作りの支援を決意!
そう!今回立ち上げた、名ずけて『ニコニコグループ』は、なんと!!25世帯のコミュニティーのトイレ作りをすることに決定しました!!これから作る、架設トイレ作りの構造も、ただ穴を掘る形ではなく、コンクリートとセメントを使い、菌が繁殖し、肥料になる構造で作っています。
どんな時でも目標をもつ大切さ
村の人々と一緒にトイレ作りを決行!!村の大工さんなどが中心になりはじまりました!
ゼロから作る作業。みんなで朝から晩まで作業しました。家を失った手作りの架設の家で、話をきいたり、チャイをいただいたり。大変な状況の中、一つのアクションを通じて活気が生まれた気がしました。
完成までみんなで頑張るぞ!!
● 6/27 トイレ作り開始
6/28 トイレのドアにペインティング
着実に広がりつつあるニコニコのチカラ
今日は、トイレのメインとなるドアのペインティングです。トイレの名前は「NIKO NIKO Toilet」に決定!
緊急支援物資の51の傘に、「ニコニコマーク」を描いて、村の人々に渡すことからはじまったニコニコプロジェクト。トイレにも「ニコニコマーク」を描きました。
これは偶然なのですが、ネパール語でもNIKOとは「良くなる」という意味とのこと。このことを知り、このトイレも、村の人々にとって「良くなる」ことを心の中で確信しました。
ペイティングが終わったあとは、村を視察。
外は雨。そんな中、ニコニコ傘をさして歩いている人たちに出会い、使ってくれている光景を見て、感動しました。
● 6/28 トイレのドアにペインティング
6/29 バクタプールの学校視察
変わり果てた思い出の地で求められたもの
世界遺産でもある、ネパール・バクタプールにある学校(gaverment school)へ訪問・視察。
学校に到着。校舎は…崩壊していました。そのため、授業は敷地内に作った仮設小屋で行っていました。300人程の生徒は仮設小屋には収まらないため、今はシフト制の入れ替えで授業をしているとのことです。
そして、校長先生の口から出た、最初の要望は…
「必要機材を揃えて、音楽イベントをしたい」
その時、日本人のみんなの目線が一度私に集まり、正直とまどってしまいました。
だって目の前には…
壊れた校舎が…
授業もままならない状況…
色々なことが頭をよぎった…
まさか「音楽」という言葉が出るとは思いませんでした。ミュージシャンとして嬉しいというより、飲み込めてない自分がいたのを覚えています。
まず先生が一番気にしていたのは、子どもたちのメンタル面の問題だった。もちろん授業もままならない先生方も不安なのは一緒です。
ネパールでは、80年前に大きな地震があった以来、今回の大地震。ほとんどの人たちが、つい約2ヶ月前にはじめて地震を経験しました。私たち日本人の想像を、はるかに超えるメンタル面の問題がそこにはありました。
子どもたちのために、それぞれが今出来ること
話を続けていくと、先生たちが他にも必要としてるものが沢山ありました。もちろんその全てを私たちが援助するのは難しい。だけど、そこにいる誰もがこのまま帰ることは出来ませんでした。
そして私たちはまず、「ネパールの人たちを中心に、何かイベントが出来ないだろうか?」そう考え、たまたまそこに居た、この学校の図工の先生に注目した。
この少し前に学校内を案内されたとき、壊れた教室には、子どもたちの紙の作品がたくさん飾ってあったのを思い出し、私たちはハッとした。
「日本から折り紙を調達して、折り紙教室をしよう!」
そして8月に開催が決定!
図工の先生に折り紙を教えれば、私たちが日本に帰っても折り紙教室は継続することが出来ます。また、支援団体OPEN JAPANはピアニカ41個の寄付が決定。そのほかは、検討中です。
「心安らかになってほしい」そのために私たちは出来ることを陰ながら努めたい。
私はもうすぐ日本に帰るけど、次は歌を子供たちと歌いたい。
歌える自分でありたい…。もっと音楽を信じたい…。芸術・アートのチカラを身をもって感じました。
今回ネパールに来て、音楽どころではないと思っていたけれど、音楽が必要とされる現場に遭遇し、私はもっともっと音楽を信じられるアーティストに近づいている感覚がありました。肩書きは、支援する側にいるかもしれないが、教えてもらうことの方が多いと改めて感じました。
● 6/29 バクタプールの学校視察
7/1 シンドゥパルチョーク地区へ
「何か出来ること」を探す前に
ネパール・ヒマラヤ山中に位置するシンドゥパルチョーク地区へ視察に同行しました。ここはネパール大地震の被害がひときわ大きく、今後も被害の拡大の心配がされている地区です。
当初の予定では、シンドゥパルチョーク地区ともう一箇所行く予定だったのですが、前日に発生した土砂崩れのせいで車が通れなくなってしまいました。そのため、この地区のみ視察へ向かうことになりました。
前日に起きたという土砂崩れが、すぐ目の前にありました…。目的のシンドゥパルチョーク地区へ行くには、土砂崩れの山を越える必要があり、その山を登りました。
削られた沢山の石で出来た山は、土砂崩れの恐ろしさを示しているようでした。山を越えると民間のバスがあり、そのバスに乗り、シンドゥパルチョーク地区へ向かいました。不思議とバスの中は…ノリノリのレゲエ音楽が大きな音で流れ、緊張していた私の心も、すこしだけ緩みました。
バスの窓から見えた土砂崩れの景色…
家…
土砂崩れでもう沈んでいたり…
今尚、危険な地で学ぶ生徒たち
バスに揺られ、山を越え、ようやく到着したシンドゥパルチョーク地区にあるバラバセ村。
一同は、学校へ訪問しました。(private school)もともとの校舎は、大地震でやられて使えない状態でした。そのため、近くの敷地にテント小屋を作り、野外授業をしていました。
校長先生があたたかく迎えてくださり、沢山お話を聴かせていただきました。
話によると、この学校には、もともと300人弱の生徒数が居ましたが、現在は約100人程度までになってしまったそうです。現在も土砂崩れの恐れがあるこの地区では、カトマンズへ避難する人が増えているとのことです。また、学校の経営状態はとても厳しく、さらに危険な地区であるため、今後がとても不安だと話をしてくださりました。
この学校は校長先生がゼロから作った学校。おそらく学校移転といっても、今もこの学校に通っている残された生徒さんのことを考えないわけはありません。一方で学校経営のことももちろん考えなくてはなりません。そんな彼女の葛藤を真剣な表情から感じました。
「本当の求め」を五感で感じて
今回は、私たちは視察で伺ったのですが、とてもとても大きな問題がそこにはありました。「何か出来ること」を探す前に立ちはだかる問題の数々。
支援といってもあくまでもサポートなんですよね。私はネパールに住んでいるわけではないからです。
「何か出来ること」
探す前に、情報を知る。自分の五感でそこにいる人たちの話を聞く。「何を想い」「何に癒され」「何に苦しみ」「何を求めているのか」やはりそれを知るには現地の人々の声です。なかなか本音は言わないかもしれない。だからこそ、五感で感じる大切さを感じました。